2017年9月22日金曜日

第三話 行動分析学の大家、大野浩二教授の登場

ふたたび現在の亜場(あば)高校にもどります。

好菜(すきな)は、図書館で辞書にむかっていました。

「不安全、ってことは最初に“安全”の意味を調べなきゃ…」
安全を辞書でしらべると「危険がなく安心なこと」と書いてありました。
でも、やはり危険がなく安心なこと、が具体的にはわかりません。そもそも安心って?

そこで、安心をしらべると「気にかかることがなく心が落ち着いていること」と。

(つまり安全とは身の危険がなく気にかかることがなく、心が落ち着いていること、なのね)
好菜は、これらをメモすると、次に“行動”をしらべるべく辞書をめくりはじめました。

すると、頭上から
「じゃ、身の危険がなく気にかかることがなく、心が落ち着いているような行動じゃないものが不安全で、それをじぶんらが防ぐわけか…」
おどろいて顔をあげると、頭上に馬場拓人(ばばたくと)の顔が・・・。

「えっ、なに?突然。しかもひとのメモかってにのぞいて!」

拓人にひるむようすはありません。
「ごめん、ごめん、一生懸命しらべているみたいだったから、つい。
じぶんもS-SAS(エスサス)委員会のあと、気になっちゃって、今日あさいちで図書館で調べたんだけど、どうも、考え出したら、安全やら行動がなんだかわからなくなって・・・」

拓人はなおもつづけます。
「メモを見ていて気がついたんだけど、これって、はじめに不安全ってものがあるわけじゃなくて、じぶんたちが防いだ結果、その行動が不安全、ってことになるんじゃないかな?」
「な、なにいってんの?」

「つまりさ、じぶんらが防いだ結果、それが不安全な行動だったという解釈になるんじゃない?
もともと不安全な行動があるわけじゃなくてね。
うーん、じぶんで言っててもわかりにくいなあ」

(・・・これだから、あたまのいいやつの考えてることはわからない!)
だまっている好菜をちらりと見てから、拓人はたちあがり、

「そこでだ、原須(はらす)さん、今日時間があるんだったら、つきあってもらえないかな」
と好菜のメモを閉じてしまいました。

「えっ?なに?」

「じぶんのおじさん、行動分析学って学問の権威なんだよね。
自分も原須さんとおなじ、その辞書で調べたんだけど、よくわからなくなって。
昼休みもここに来てたんだけど、結局、S-SASのメンバーで今日図書館にあらわれたの原須さんだけだったよ」

「そうなんだ、私と拓人くんだけか・・・」
「ほかのメンバーは気にならないのかな。
おじさんの大学はここからそんなに離れていないから、いっしょに行ってよ」

ぺこりと頭を下げた拓人の態度は意外にまじめなもので、好菜はちょっとおどろきました。
(内申点ばかり気にするガリ勉くんかと思っていたけど、それほど悪い人ではないかもね)

行動分析学という耳なれない学問もそうですが、やはりS-SASのメンバーになったからには行動についても知りたいと思い、好菜は拓人と一緒に行くことにしました。

1時間後に好菜と拓人は私立波理洲(ばるす)大学四号館、文学部心理学科研究館に到着しました。

「…そういえば、なんで?満人(みつと)くんといっしょにくればよかったんじゃないの?
せっかくおじさんに会うんだから」
そういうと、

「いやいやいや、おじさんがおおさわぎするのが目にみえるから。
じぶんら秀才イケメンふたごのことが大好きなんだ、あのひと…。」
と拓人が苦笑いします。

すると、突然、背後からハイテンションな声が。

「おお!拓人!拓人じゃないか!」

両手で発泡スチロールのどんぶりをかかえた品のよさそうな紳士が足早に(といっても中のスープがこぼれないよう気をつけながら)近づいてきました。

「ついに結婚するのか!あいさつか?おじさんにあいさつか?
そのひとがおくさんなのか?
じゃあ、結婚式ではおじさん、はりきって、“かどたち音頭”を…」

「おじさん!!」
拓人が、そのおじさんなるひとの言葉をさえぎります。
「おじさん、結婚式って・・・あの、じぶんまだ16才なんですけど。
それに、かどたちなんとかって…なに?」

「かどたち音頭ってのはな…」

そこで、おじさん、はっとわれにかえります。
「おお、これは、大変失礼いたしました。わたくし、拓人のおじで大野浩二(おおのこうじ)ともうします」

どんぶりは平行に保ちつつ、ふかぶかと好菜におじぎをします。
まるで、どんぶりに祈りをささげるような奇妙なあいさつでした。

(あいさつだけじゃないけどね…奇妙なのは。いったい、このひとなにもの?
・・・って、おじさんだよね、拓人くんの。・・・大学の先生だよね)

好菜はあっけにとられて、おじぎをかえすこともことばを発することもできずにぼんやりとただただ立ちつくしたままでした。

数分後、3人は大野浩二教授の研究室にいました。
のびてしまうからどうぞ、というまでもなく、研究室につくとすぐ大野教授はコンソメスパにとびつきました。

「いや、とうぜん冗談だよ。拓人はまだ16だもんな。おじさん、そんなこと知っていたよ」
はっはっは、と笑いながら大野教授は、ズルズルとおいしそうにパスタをほおばっています。

(よほど空腹だったのね…、まあ、たしかにおいしそうだけどね)
とろみのあるコンソメスープに、コーンとなぜかわかめが入ったパスタは大野教授の好物のようです。
わき目もふらず一心に食べています。

そのため、来客用のコーヒーは不器用な手つきで、拓人みずからいれています。

「さて、それで、拓人が私をたずねてきた理由をうかがおうかな。
そのまえに、そちらのかわいらしいおじょうさんはどなたかな?」

おなかが満たされたのか、大野教授はさっきとはうってかわって、にっこりとおちついた声で聞いてきました。

好菜が自己紹介し、ことのしだいをはなしおえると、
「なるほど。行動とはなにかってね…」

すっと立ちあがると、大野教授は本棚から1冊のやや小さめの本を取り出しました。
表紙には「行動の応用‐すばらしい人間理解のために‐ 大野浩二著*1」とあります。

(すご!本をかいてるんだ!)

「行動には、明確な定義がありますよ」
大野教授は、よくとおる声で本のなかの一文を読みはじめました。
「行動とは、環境の中で生体がすること(Pp.9)、となってますね。
生体とは、生命を持つ独立した個体をさすことばで、有機体あるいは生活体ともよぶことがあります」

大野教授はなおも
「そして、私の専門である行動分析学における行動の定義には死人テストというものがあります」
と続けます。

「行動は生きている“生体”が示す変化であり、“死体”でも起こりうることは行動ではありません。
たとえば、“食べる”というのは死人にはできませんから行動です。
でも、“寝ている”というのは死人にもできますから、行動ではないんです。
これが、“寝る”という動作になると、行動ですけどね」

「ふうん、なるほどね…。そっちはすっばらしく明確にわかったな」

好菜も同感でした。
行動の意味がすーっと頭のなかにはいってきました。

(変わっているけど、とてもあたまの良い人だわ、大野教授って。教授だからとうぜんか)

「そっちはわかった、って?じゃ、もっとわからないことがあるってことか、拓人?」

「うん、さっきはなした不安全な行動、の不安全のほうなんだ」
拓人はさっきのセリフをくりかえします。
「不安全な行動を防ぐのか、不安全は防いだ結果なのか、それがわからないんだ」

すると、大野教授、いきなり大声で、
「拓人!さすが私のじまんの甥っこ!」
と、たちあがったのです。

「それは循環論というんだ。行動のダメな説明にもあるんだよ。
勉強しないのは性格が怠惰だからだ、じゃあ、なぜ怠惰かというと勉強しないからだ、
というわけだ」

「えっ、じゃあ、なぜ行動が不安全なのかというと、不安全に行動するからだ、ってこと?」

「そのとおり!」

「その説明は…つまり…」

「循環論…ダメってことだ」

好菜は、またまたふりだしに戻ったことを察して、どんよりとにごった超濃厚コーヒーをどんよりと口にいれました。


*1:本物の本を読みたい方は、こちらをご参照ください
「行動の基礎―豊かな人間理解のために(改訂版)」(2016).小野浩一著.培風館


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